dマガジンは便利だ、けど(使って感じて考えたこと)

先日来、「dマガジン」を使っている。「使っている」はヘンだが、感覚としてはまさに「使っている」というものだ。

 

「dマガジン」は、言わば雑誌の立ち読みサービス。月額400円で、さまざまな雑誌の記事をパソコンやスマホタブレットなどで読む事ができる。ちょっと話題になったりした記事を読みたい時、慌てて書店に走らずに済むのは、大いに助かる。

ただし、ネット記事には載らないものも、ある。

例えば週刊文春に例の「少年A」についての記事が掲載されたが、印刷媒体には掲載された本人写真はdマガジンでは見られない。また、小林信彦の連載も読む事が出来ない。

写真はともかく、小林信彦が読めないのは、ちょっと悔しい。最近は当たり外れがあるので、できれば立ち読みで済ませたいのだ。というのはこちらの勝手というものか。

 

AERA東洋経済などに、時々読みたい記事が載る。そういう時も、dマガジンで先に斜め読みして内容を確認し、おもしろかったら印刷媒体を購入する。そういう使い方ができるのはありがたい。

知人が「有料立ち読み」という趣旨の指摘をした。まさにその通りで、立ち読みのために所場代を払っている感覚で、それはそれで有意義である。

 

ただ、いろいろ不便もある。

いちばん不便というか中途半端だなと感じるのは、クリッピング。気に入った記事を100くらいクリップして、あとで読み返せるようになっているのだが、残念ながらこれは「記事」単位ではなく「ページ」単位。数ページの記事は、全部べつべつに保存しなくてはならず、そうなると100件なぞあっという間である。読むときも面倒くさい。これはぜひ、記事単位にして欲しい。

それから、PDFで提供しているため、スマホ画面ではかなり辛い。タブレットでも、僕はiPad miniなので、けっこうしんどかったりする。別の知人は「パソコンで読むもの」とFacebookに書いていたが、まあそのとおりだと思う。この人はさらに、気に入った記事は画面キャプチャして残しておくらしい。さすがだ。僕はそれを整理する根性がないので、気に入ったら印刷媒体を購入することにした。こういう時に人間性が出るものだ。

もっとも僕は貧乏人なので、金がなければ買わないけれどね。

 

不満は数々あれど、立ち読みだと思えばまあ我慢できるレベルかなと思う。むしろ利便性の方が上だろう。

雑誌の未来がどうなるか、というのは僕には手に余る話だ。広告収入も落ちているらしいし、販売数も販売金額もどんどん前年割れし続けているようだ。印刷媒体における雑誌の未来は、明るくないのかも知れない。

だからといってdマガジンが新しい未来を示しているかといえば、それも違うと思う。これはあくまで「過渡期」のサービスだろう。

今後はどうなるのか、あちこちで不安の声があがっている。

僕も不安ではあるが、むしろおもしろがっている気持ちの方が、実は強い。それは雑誌がそれほど僕の血肉になっていないからだろう。雑誌は購読するものではなく、気が向いたら買うものだった。雑誌そのものへのリスペクトも、あまり感じていない。僕にとって、雑誌はあくまで「記事の入れ物」なのだ。こんなことを書くと「お前は雑誌文化を理解していない」と叱られそうだが、まあその通りなので反論できない。雑誌文化を知らないわけではないが、特に密接でもない生き方をしてきたので。

 

もちろん、恋しさを感じる雑誌は、ある。「SFマガジン」「ミステリマガジン」「NAVI」「ロッキングオン」など、一時期欠かさず買っていた雑誌もある。

ただ、愛おしさとは別に、じゃあそれらが消滅したとして悔しいか残念かと言われると、まあそりゃあ悔しいし残念だけれども、悲憤慷慨して天を仰ぐほどではない。そういう程度の愛しさと切なさなのであります。

 

話が逸れた。

雑誌を記事の入れ物という捉え方をすれば、dマガジンは、過渡期とはいえ、ある種の示唆ともなり得る気がする。例えば記事が個々に存在し、それらを自分の好みで束ねる「自分だけの雑誌」なども、この延長上で作れるのではないか。そこでできた「岩崎マガジン」とか「岩崎ジャーナル」を公開すればおもしろいのではないか。ってそりゃ僕の大嫌いな「キュレーションメディア」じゃないか。はい、取り消し!