最近どうもまた古典へ戻りつつある

ここ1週間くらいの間に、小林とし子氏の本を読みあさった。

『さすらい姫考』

『女神の末裔』

『翁と媼の源氏物語

『ひめぎみ考』

いずれも、主に王朝文学を、女性の立場から分析したもの。評論なのだが、微妙に緩さがあり、エッセイに近いかも知れない。

 

ここからの派生で『保元物語』『平治物語』を読んだ。驚く程読みやすかった。平安文学は「難しい」という固定観念があり、敬遠していたのだが、これらは軍旗物だからだろうか、すらすらと読む事ができた。

 

そこで今度は『とはずがたり』に挑戦したが、こちらはだめだった。難しくて読み進められない。この作品は鎌倉時代のものだが、文体は完全に平安女流文学。歯が立たないわけではないが、かなり苦労する。

 

このあたりを読んでいると、昔、江戸文学を好んで読んでいたことを思い出した。

江戸の大衆小説はいずれも読みやすいのは、ことばが現代に近い事(文語口語の区別は実はあまり大きな障害では無い)や、文章にリズムがあること、挿絵がふんだんにあることなどによるのだと思う。

 

最近世の中はどうにもくさくさすることばかりなので、古典文学の世界へ逃避したくなって来た。

そろそろ、積んである『太平記』にも手を伸ばそうかと思っている。

 

ちなみに江戸文学であれば、やはり最初は読本あたりが良い。山東京伝など、お勧めである。滝沢馬琴は学があり過ぎて、いささか難しいのだ。

読本に親しむと、明治大正から昭和にかけての大衆文学についても、その延長上にあるのだなと体感できる。時代小説、伝奇小説ばかりではなく、例えば江戸川乱歩の通俗探偵小説などもまさに読本の伝統から派生している。小栗虫太郎も、まさにその伝である。一方で夢野久作は、荒俣宏が何といおうと、逆にモダンである気がする。

 

そんなことをぼんやり考えつつ、本を読んでおります。