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コミュニティFMについてのメモ(作成中)

理屈

宇都宮市コミュニティFMが誕生する事になり、その取材を近日中に行う。そこで、予習と証するとっちらかった妄想をメモしておく。

基本参考資料はコミュニティFMの可能性』北郷裕美、青弓社2015

 コミュニティ・メディアを考える場合に避けて通れないポイントとして、
・コミュニティとは何か
・コミュニティメディアの役割とは何か
が考えられる。つまり、まずコミュニティについて定義できなければ、そこでどのようにメディアが役割を果たすのかについても考えられないからである。

コミュニティとは何か」

参議院調査室発行の『立法と調査』288号平成21年1月発行所収の「少子高齢化時代におけるコミュニティの役割」(山内一宏)によれば。

地域コミュニティというと、広義では地元の町内会、自治会、農村の寄り合い等地縁的つながりのある様々な組織や集まりといった地域共同体をイメージすることが多い。広辞苑では「コミュニティ」とは、「一定の地域に居住し、共属感情を持つ人々の集団。地域社会。共同体」と定義されている。他方、総務省では、「(生活地域、特定の目標、特定の趣味など)何らかの共通の属性及び仲間意識を持ち、相互にコミュニケーションを行っているような集団(人々や団体)」と定義しており、「地域コミュニティ」を「共通の生活地域(通学地域、通勤地域を含む)の集団」としている。そこで、本稿では「地域コミュニティ」を一定の範囲で地理的に広がり若しくは関連があり、設立趣旨及び目的、経済活動、生活習慣等の面で共通の利害を有志、構成員である個人との間で相互に影響を与え合う集団や組織のこととする。(太字は引用者)

総務省の定義は「総務省コミュニティ研究会参考資料(平成19年2月7日)より。)

その他、いくつかの資料を繙いたが、地域コミュニティの定義としては、
1:地理的に一定の範囲内にあること
2:構成員が何らかの共通の属性を持っていること
3:構成員がある程度の仲間意識を持っていること
4:構成員同士のコミュニケーションが成立していること
などの要件を満たすもの、と暫定的に考えていいのではないか。(後でまた考える)

とすれば「地域」を省いた「コミュニティ」についても、2〜4を満たすもの、と暫定的に定義し、疑義が生じた場合に再考するということにしたい。

コミュニティ・メディア(の役割)とは何か」

ではコミュニティ・メディアとは何か。またその役割は何か。
これはまさにどういう立場の人がどのように話すのかで、いろいろな考察が共存するだろう。
ただ、

1:コミュニティ内部のコミュニケーションをサポートする。
2:1のサポートにより、コミュニティ内部のコミュニケーションを育てる

というウロボロスの龍のような円環的な定義が成り立つだろう。
さらに、

1−2:コミュニティやそのメンバーにとって必要とされる情報の提供
2−2:情報をコミュニティ内に偏在させ、それによってトータルの力を強化する

といったことも期待される。
とりあえず、核の部分はこれで暫定的に決定していいのではないか。

ちなみに北郷は「マス・メディアとパーソナル・メディアの中間領域に位置するメディア」(P15)として、そのオルタナティブ性を強調している。
さらに、このようにも書いている。
国民国家の下に地域があり、その地域に根差すから地域情報を扱うというような、まさに地理的な媒体、あるいは地域の情報を伝達するだけの媒体としてコミュニティ・メディアを捉えるだけでは不十分である。そこで、本書ではコミュニティ・メディアの定義として、「地域に住む生活者の、主体的なコミュニケーションに寄与する、あるいはつないでいく」という性格を、暫定的に強調しておく。(P21)」
このことは必ずしもコミュニティ・メディアのあり方の中核的役割とは考えにくいが、そう言いつつも「オルタナティブなメディア」という点からは重要である。この場合の「オルタナティブ」とは、マスとパーソナルの中間というだけではなく、「既存メディアとは違うポジションにいる」ということである。
というのも、コミュニティ・メディアを「マス・メディアとパーソナル・メディアの中間に位置するもの」と考えれば、重要なのは前記であり、他はコミュニティ・メディアの特質の上で展開する副次と考えていいからだ。もちろん副次だから重要性が低いということではない。

こうしてみると「役割」には二つの側面があることに気づく。
その1は、社会システムの中の役割であり、それはコミュニティ内に情報を流通させることである。現在のコミュニティそのものへの疑問は、そこにはない。あくまで肯定的にとらえ、できれば育てる役割である。つまり回覧板の進化系と言ったら言い過ぎだろうか?
その2はもう少し複雑である。現在の社会システムから外へはみだそうとする力、現時点での社会における問題を顕現化し、その解決へ向けてのコミュニケーションを励起する役割である。この役割においては、現在のコミュニティ、もしくは(より大きく)コミュニティの集合体もしくはコミュニティを支配する枠組みである国家に対峙することもあり得る。
1はともかく2は考え過ぎという人もいるだろう。というのも、日本におけるコミュニティ・メディアの多くが、国家という大きな共同体のシステムに組み込まれその下部システムとしてのみ機能しているからだ(例証はこれから)。だが、メディアというのは本来もっと自律的で、しばしば自らをも裏切るものである。であれば、実は2こそが本来のローカルメディア、コミュニティメディアの役割——というのはあまりに左翼センチメンタルだろうか。

 

以下、北郷前掲書からの抜き書きと補足。

コミュニティ・メディアとは何か
マス・メディアとパーソナル・メディアの中間領域に位置するメディア(P15

コミュニティ・メディアはマス・メディアに対して必ずしもanti(反)という立場を示すものではなく、むしろオルタナティブな位置づけと一般的には捉えられるだろう。(P15

これに呼応する形で大澤真幸は次のような指摘をしている。「人びとの社会についての現実性(リアリティー)が、自己を中心とした直接の繫がりを大幅に超えていて、しかもその領域が、主要にはマス・コミュニケーションの受容範囲によって規定されている」。自己を中心とした直接のつながりとは、まさに我々の生活圏の現実的なコミュニケーションの範囲(中略)のことを意味しているが、マス・コミュニケーションのメディアから発信される情報の下、我々のコミュニティが実際よりもずっと大きなものとして想像され、さらにその想像がまるでリアルなものであるかのようにマス・コミュニケーションに操作され続けているという指摘である。(P16

(岩崎メモ)すなわち、マス・メディアの発信力が強力であるため、僕たちはその影響を受けて、現実には遠い存在であるもの(例えばスター)を身近に感じ、逆に報道されない身近な地域社会の状況を、遠いものと感じてしまうということだ。創られた「想像」のコミュニティが現実として受け入れられ、現実のコミュニティが想像のものとして意識から追いやられ、違う意味付をされてしまったり、時には崩壊してしまう危険を孕んでいると言える。
そして僕たちは、しばしばリアルを取り違えることになる。

コミュニティ・メディアが影響を与える範囲というのは、マス・コミュニケーションとは異なった、生活者を中心とした直接のつながりに近い範囲、すなわちリアルな生活空間のつながりと重なり、そこに立脚する課題をビビッドに反映する。(P16〜P17

1.1.2 ニコラス・W・ジャンコフスキーはCommunity media in the Information Ageのなかで(中略)包括的な定義として、以下のようにまとめている。(P17

コミュニティ・メンバーに関連し必要とされるニュースや情報を供給し、彼らをコミュニティ・メディアによって公共的なコミュニケーションに迎え入れ、さらに政治的に権利を奪われた人たちに権限能力を付与すること(P17※目的について

マス・メディアとの比較で言えば「地域に根ざしている」ことを前提に、制作形態も「非専門家とボランティアによる参加」が中心となる。その対象者は「明確に区分された地理的な範囲のなかの比較的狭い範囲で居住している人びと」が中心となるが「コミュニティ・ネットワークのなかには多くの物理的に拡散している人々も結び付けている」例もある。資金調達では「本質的には非営利であるが、全体経費は企業の資金援助や、広告費、政府の補助金などを必要」としている。(P17

国民国家の下に地域があり、その地域に根差すから地域情報を扱うというような、まさに地理的な媒体、あるいは地域の情報を伝達するだけの媒体としてコミュニティ・メディアを捉えるだけでは不十分である。そこで、本書ではコミュニティ・メディアの定義として、「地域に住む生活者の、主体的なコミュニケーションに寄与する、あるいはつないでいく」という性格を、暫定的に強調しておく。(P21

ただし、コミュニティ・メディア自体は主役になるような性質のものではなく、本書でもコミュニティのツールとして、また、つなぐものとしての機能に着目していく(P21

コミュニティFMとは何か」

本章ではコミュニティ・メディアの代表格として、コミュニティFMを取り上げる(P145)

理由1:
わずか二十年あまりで全国に二百八十を超える局(2014年12月現在)が生まれ、日々増加している状況にあること。(P145〜P147)

P146の「コミュニティ放送局の事業者数の推移」も参照

理由2:
阪神・淡路大震災時の情報発信媒体としての活躍を契機に、2011年に起った東日本大震災時に見られたような防災メディアとして公的な評価を受けてきたこと(P147)