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坑内カナリア理論

結局のところ、カミュが『ペスト』で書いたように、ペスト菌は常に社会の中に隠れているのだ。それを避けたり根絶する方法を僕たち人間はまだ持たない。
それでも、例えばひたひたと少しずつ満ちて気がつけば僕たちを溺れさせんとする、ファシズムに代表されるような悪しき社会については、その兆候に気づくのはそう難しいことではない。
全体主義と民主主義のどちらが良いか客観的にはよくわからないけれども、少なくとも個人の意思は民主主義社会の方が尊重されると思う)
・悲観的な心情の蔓延
・社会の分断と不理解、非寛容
・指導者たちによる権力闘争
・大衆運動的なものの拡大と激化
・強く偉大な者を希求するムード
こうしたことが見えてきている時、社会は大きく変質しつつある。
政治経済社会の急激な変動が、心理的な不安を呼び覚ます。その結果市民は大きな力による安定を希求するようになる。力を持つものがどれほど悪評があろうとも、安定と安心をもたらしてくれるのであれば、歓迎する。
自分たちの弱さを分かっているから、強いものは受け入れる。より弱いものは、徹底して叩く。それも論理でも必要でもなく、ただ自分の気持ちが一時的に爽快になるために、情緒的に攻撃する。それによって社会における分断は徐々に拡大し、固定化され、深まっていく。
こうしたことはいつの時代でも、どんな社会でも、程度の差こそあれ、必ず見つかるものだ。だから程度の問題も大きいのだが、それでも徐々に激しくなっていくようであれば、危険が近づいていると考えていいだろう。
そういう状態の世界の中にすでにいるとしたら、僕たちに何かできることはあるのか?