迷走ブックガイド いろいろ編

 前回に続き、フリーペーパーのための記事の下書き。今回はテーマを設定せず、思いつきで書いてみた。文章や内容は、これから直して行きます。

 栗原成郎『ロシア異界幻想』は、現代ロシアに残るさまざまなフォークロアを通じて、かの地の死生観を紹介する内容だ。
 「二十世紀末のロシア民衆の神秘的体験を読むかぎり、彼らの死生観あるいは『あの世』観は十九世紀以前のそれと本質的には変わっていない」(「序」より)とあるように、本書に引用されている民話は、そのほとんどがソヴィエト崩壊後に採集されたものであるにも関わらず、過去から続く太い伝統の根を感じさせる。

 「おじいさんの旅支度」というフォークロアは、語り手の祖父が死んだ時の物語だが、ここでは祖父を迎えに来るのは共に働いていた(今は亡き)彼の友人たちであり、その準備の一つは作業カードを整えることなのだ。「死者を迎えに来るあの世の者」という大枠は同じだが、演じているのは天使ではなく死んだ同僚たちである。こうしたモダンな装いの中に息づく、ロシアの古層を、筆者はていねいに解き明かしていく。

 「亡夫フョードル」は、夫を亡くした女のところに、毎日夫がやってくるようになった話だ。亡夫は妻とともに薪を集め、庭で働いた。それを知った舅は、家の全ての戸口を固め、亡夫が入って来られないようにしたが、それでも四十日間夫は通って来た。最後には妻を冥界に連れ去ろうと腕を伸ばし、彼女の胸から十字架を引き千切った。舅が急いで引き離さなければ、妻は殺されていただろうと語り手は言う。

 これを読んだ時、私はかぐや姫というフォークバンドの曲「あの人の手紙」を連想した。あの歌は、兵隊にとられた夫の無事を祈る妻のもとに、ある時夫が戻ってきて一夜を過ごすが、実は彼はすでに戦死しており、妻もそれを知りつつ夫愛しさのあまり彼が生きている振りをしたという内容だから、実はずいぶん違う。しかし「フョードル」に登場する妻も、彼が死んでいると知りつつ、一緒に薪を拾い、舅に仲を裂かれるまでは共に働いていた。その心は、「あの人の手紙」の主人公と同じだと思う。
 さらに言えば『怪談牡丹灯籠』で幽霊を受け入れて死んで行く若者も、彼女たちの仲間だろう。いずれも生死の境界を越えて、愛情に殉じようとしたといは言えないだろうか。ロマンチックに過ぎるかな?

 「あの人の手紙」には反戦の香りもあるが、これはやはり愛の物語なのだと思う。とは言っても、戦争が二人を引き裂いたのだから、消極的とは言え反戦歌に含めても良いかも知れない。

 もともとモダン・フォークは反戦も含むプロテスト・ソングからスタートしており、フォーク=民衆という名前のとおり、その時その時の庶民の喜怒哀楽だけでなく、戦争や政府に対するプロテストを歌ったものも、少なくない。特に英米においてはウッディ・ガスリー、ピート・シーガージョーン・バエズなどが積極的に反戦を歌った。時代はちょうどベトナム戦争最中、アメリカ人の若者が数多くベトナムのジャングルで命を落としていた。

 イギリスでは労働運動でもフォーク・ソングがしばしば登場した。伝統的な民謡を、アクチュアルな政治トピックの替え歌にして、集会で歌ったりもしたらしい。
 日本では、岡林信康などフォーク初期からプロテストソングを歌っていたアーティストは少なくない。いや、吉田拓郎以前はたいていプロテスト系だったような気がする。

 拓郎と井上陽水が、日本のフォークの風景をがらりと変えてしまった——と門外漢の私はそんな印象を持っている。とはいえ二人とも初期にはまだ、プロテスト的な根っこは引きずっていた。吉田拓郎「落陽」「祭りのあと」などは、直接的ではないけれどもプロテストの姿勢を含んでいる(どちらも歌詞は岡本おさみだが、それはとりあえず横に置く)。また、井上陽水「傘がない」は、政治や社会よりも身近なことを選ぶという心象が、逆説的に政治への意識を浮き彫りにする。この歌が発表されたのは1972年、あの「あさま山荘事件」と同じ年であり、そこに到る学生運動の発展と挫折、そして壊滅が、若者の精神に大きな影響を及ぼした。彼らは後に「しらけ世代」と呼ばれるようになる。

 あさま山荘事件は、私が小学校六年生の時だった。当時は背景など判らず、ただただスペクタクルとして事件の報道に見入っていた。工事用の巨大な鉄球が壁を壊す瞬間や、降伏して出て来た犯人たちを映す画面でアナウンサーが「これだけの重大事件なので、あえて」と断りつつ、当時未成年者だった一人の氏名を公表していたのを覚えている。

 あの事件については、現場で警察の指揮をとっていた一人、佐々淳行による『連合赤軍あさま山荘」事件』と、同じく現場にいた日本テレビアナウンサー久能靖の『浅間山荘事件の真実』、それに実行犯・坂口弘 が書いた『あさま山荘1972』(上・下)などが刊行されている。また佐々の本を原作とした原田真人監督の『突入せよ! あさま山荘事件』や、それを見て反発した若松孝二監督の『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』などの映像作品もある。

 あれは凄惨な組織内リンチでありテロの末路だったのだが、これによって日本の学生運動は完全に一般人から遊離し、的とされてしまって今に至っている。これは、私たちの中に社会運動、政治活動全般への不信感を植え付けたことも、また否めないだろう。それがその後現在までの日本の政治社会風景を歪めているのではないかと、最近思うようになった。

 英国の政治学者コリン・ヘイが著した『政治はなぜ嫌われるのか』を読むと、政治不信が日本だけでなく、ほとんど全ての、いわゆる先進国に見られる現象であることが、判る。筆者は政治不信の根源を、政治を語る言説の中に探る。つまりは、いかに語るかが重要なのだということだ。それは言葉を替えれば、政治を語ること自体がメディアとなっているということかも知れない。