右翼は国家神道から訣別せよ(アジ)

5月16日(月)
午前中は眼の手術のための検査で腹眼科へ。いろいろ小突き回されたが無事終了。いよいよ確定である。帰りの支払いが5000円近く出て、のけぞる。手術のための検査なのだから手術費用に含まれてくれないかしらん? 術後の処置なども含めてもらえないかしらん? 手術代は一定額以上は補助が出るのだが、その他に結構金がかかりそうだ。もっとも月をまたいでしまうから、ダメだろうなあ。
午後仕事するも体調悪化、どうやら風邪か? 諦めて5時でおしまいにして帰宅、7時過ぎに食事した以外は眠って過ごした。おかげで風呂が2時になってしまった。

末木文美士の「中世の神と仏 」が非常におもしろい。「神仏習合」「中世神話」などの岩波新書を読んでモヤモヤしていた部分が、ハッキリわかった。さすがは末木、安心のブランド。
同書内に、日本の天皇制は他国よりはるかに長く続いているが、逆にそこしか優れている点を主張できないという指摘があり、まさしくと思った。北畠親房、慈遍を源流とし平田篤胤がほぼ形作り明治政府が擬似歴史を完成させた「神国ナショナリズム」は、結局たったそれだけを頼りに成立している。逆に言えばその脆弱な根拠を守るための理論武装こそが現代の皇室ナショナリズムの大きな柱なのではないか。
とすれば現代のナショナリズムは、まず皇室や歴史的な視点を否定するところから再構築しなければいけないのではないか。とりわけ「靖国」という、実は神社ですらない擬似神道団体を切り捨てなければダメだろう。根本に嘘やゴマカシを含んだ思想は、成立し得ない。
末木の同書によれば、そもそも神祗信仰が神道となっていく過程において、外来宗教である仏教が大きな役割を果たしたようだ。この辺りはよく考える必要はあるが、歴史的には確かに仏教伝来が先んじており、神道の理論的成立は鎌倉期まで待たねばならない。つまり神道は仏教に対するカウンターであり、その影響なくして現在の形に成立し得なかったということも充分考えられる。あとで吉野裕子あたりを改めて読まなくてはいかんな。
などなど。
いずれにせよ調べれば調べるほど、現代の国家神道がいかに底の浅い、寄せ集めのものであるかという印象ばかりが深くなる。右も左もガラクタ作りだ。思想全体を再構築しなければダメかも知れないな日本は。
つまり明治以降の思想史を一度誰か徹底的に批判粉砕することがなければ、先へ進むのは難しいかも知れないという、そんな気分です今は。