活動弁士と説明台本

しつこく続きます。

田中純一郎『日本映画発達史』をせっかくの機会なので通読しておこうと思って読み始めたら、第1巻でおもしろい記述に出会った。

第三章第11節に活動弁士、いわゆる「カツベン」についての記述があって、彼らがいかにデタラメだったかということを力説している。そこに、

「(前略)外国映画興行の場合には、外国語タイトルを判読し得ない多くの見物のために、彼らの任務が重要な役割を持っていたことは争われない。(中略)そうかといって、彼らに外国語を自由に翻読する素養があったかというと、そうでもない。輸入業者が製作する説明台本によって適宜話術を弄するのであるが(以下略)」

とあった。

この説明台本だが、どうやら外国映画だけではなく日本映画にもあったものらしい。ただ、日本映画の多くは舞台の映画化などだったため、ポピュラーな筋立てであれば弁士もかなり台本から逸脱して話していたようだ。一方外国映画は話に馴染みがないので、台本に比較的忠実に話していたようである。もっとも中にはそこに勝手に台詞を付け加え、さらにアクションものの場合は台詞回しもエスカレートさせたりしていたようだ。

ここで何が言いたいかというと、つまり「説明台本」は映画の輸入会社が作っており、田口桜村は輸入会社に深いつながりがあったのだから、それを手に入れてノヴェライズしたのではないか、と推測したのである。もしかしたら台本作成を仕事にしていたかも知れない。

当時の輸入映画は、字幕はどうなっていたのだろうか。翻訳したものに差し替えていたのだろうか。そうだとすれば、翻訳者がいたことになる。桜村が翻訳者だったか、そうでなくとも彼に近い人間であった可能性は低くないだろう。であれば、説明台本や字幕が資料として渡され、また輸入の際についてきた説明資料なども一式参照することで、あとは一度全編を見ておけば、ノヴェライズも可能だったと思う。

現代のようにビデオ完備の時代ではない。映画を観るためには、フィルムを映写機にかけ、部屋を暗くして、銀幕に映さなくてはならない。手軽に何度も見返すことは、まず不可能だろう。だが説明台本を作るのであれば、フィルムを編集機で少しずつチェックしたり字幕だけ先に見て行ったりしつつ、効率的に作ることができたのではないか。

どうも「だろう」「ではないか」だらけになってしまって確たることが書けず忸怩たるものがあるけれども、桜村は多分、説明台本を使ってノヴェライズしたのだと思う。特に『鐵の爪』『笑の面』は英語ではノヴェライズも発売されていなかったようだから(未確認だが、現段階では無かったと考えられる)、いよいよそれしか方法がないことになる。当面、そういう理解でとどめておこう。

ところで『日本映画発達史』では弁士は日本だけというふうに書いてあるが、実のところ外国にもいたようだ。しかし長続きはせず、消えてしまった。一つには「字幕」のつくことがスタンダードになったことが挙げられるだろうが、もうひとつは映画の創り手(演出、俳優など)側が「映画独自の表現方法」を早くから追求していたことが、説明無しでも判りやすい映画になっていったのではないかと思われる。「舞台では無い、映画独自の表現」を追求することで、弁士の必要を無くして行ったのではないか。古いフィルムを観ていると、そういう気がする。もちろん舞台劇そのままのものも多い。エディソン社の『フランケンシュタイン』など、そのまんまである。また家庭喜劇の類いも、ひと部屋かふた部屋だけで終始しカメラもフィックスのみというものが見られる。だがおおむねすぐに、舞台劇では表現できないものに変わって行った。

日本の場合は、そういう冒険心に乏しかったのではないか。まあ技術的にまだまだ低く、撮影スタジオも無い状況では、ただひたすら撮影するのが精一杯で、編集の必要なども周知されていなかったようだ。

最近は弁士というと何かいいもののように言われているけれども、実際にはデタラメに話を作ったりして、映画制作側からすると決して喜ばしいものではなかったように、『日本映画発達史』にはある。しかし上手な弁士には俳優以上の人気があったので、会社も黙認するしかなかった。

ところで横溝正史『悪霊島』には、活動写真の弁士が出て来る。彼も一時期非常に人気が出たが、やがてトーキーの登場で没落した。同書を読んでいる時には「人気があった」がピンと来なかったが、会社を動かすほどの存在の弁士もいて、映画スター以上の人気を誇っていたということが『日本映画発達史』には書かれているので、ようやく『悪霊島』の弁士の姿が想像できた。キムタクなみにちやほやされていたのが、いきなりどん底へ落ちたようなものだっただろう。

いきなり話が戻るけれども、『鐵の爪』主演のパール・ホワイトPearl Whiteの伝記が出ているので、無理をしてでも英語の本を読みたくなってきた(多分、本当に「無理」なんだけれども)。だがその前に『American Cinema of the 1910's』という本をなぜかPDFで所有しているので(本当に、なぜだか覚えていないのである)、これに目を通してみようと思う。

『鐵の爪』『名金』と田口桜村

だらだら調べ、続きです。

田口櫻村(桜村)については、田中純一郎『日本映画発達史 1』に記載が少しあった。「興行界の鬼才といわれた小林喜三郎の参謀格である田口桜村」という表現があり、なかなか大物だったことが判る。小林は実業家でもあり日本映画創成期に活躍したプロモーターでもあった。グリフィス『イントレランス』を日本で大ヒットさせた仕掛人である。

田口は当時東京毎夕新聞の記者だったが、退職して松竹映画立ち上げから関与し、そのためにアメリカ視察も二度ほど行ってハリウッドの撮影所システムを学んで来た。そして蒲田撮影所の初代所長をつとめている(長くはなかったようだ)。

『鐵の爪』と同時期に『名金(めいきん)』正続編を出版している。これもまたアメリカ連続活劇『The Broken Coins』の翻訳である。西部劇や歴史劇の小説を書いていたエマーソン・ホー(Emerson Hough)という作家の出したストーリーを基に作られたらしい。ホーではなくハフが正しいようだが、ここでは訳本の表記に従った。

この『名金』続編の扉には「天然色活動写真株式会社 脚本部 田口桜村編」とある。天然色活動写真株式会社は「天活」と呼称され、これも小林が一枚噛んでいる映画会社だった。1914年〜19年という短い命の会社だったようだ。ところがその間に約400本も映画を作ったというから、相当なものである。しかも、当初はキネマカラー(カラーフィルムではなく、赤と緑のフィルターを交互に使って撮影し上映するやり方で、通常の映画よりフィルム量は二倍になったらしい。このあたり、あとでちゃんと調べたい)を売りにしていた。その割に作品は「義経千本桜」などと何だかなあなものが並んでいて、いろいろおもしろい会社である。

田口は、天活には毎夕新聞記者と二足のわらじで入っていたようだ。当時の新聞記者というのは、どんな勤務だったのだろう。これも今後の課題である。

ところで『名金』後編冒頭には「前編あらすじ」がついており、その末尾に「編者よりお断り」と題した文章がつけられている。

「名金がこれほどの大作でありながら、撮影に使用した脚本とか、原本のようなものがないので、前後の筋や、地理の観念が驚くべき程乱暴に扱われております」

なので、編者の一存で、なるべく矛盾が起きないようにいろいろ手を加えたという趣旨の文章である。これを読む限りでは、依拠しているのは映画のシナリオであるように思われる。

ところでEmerson Houghには『The Broken Coins』という小説があり、これは現在もamazonで入手できるので、さっそくKindleで購入し中を開いてみた。すると、映画が22編で小説も22部立て(1部に4章ほどが入っている)と、構成が同じで、登場人物も同じ。これは原作もしくはノヴェライズだろうとすぐ判る。実際にはノヴェライズであったようだ。

すると、果たして田口訳は、どこからの訳なのか。Houghのノヴェライズと田口訳本では、全体のシチュエーションはおおむね合っているけれども、中身はかなり変えられている(本人もそう書いている)。つまり、
1:ノヴェライズの翻訳だが超訳になっている(戦前は珍しくない)。
2:映画からの独自ノヴェライズである。
このどちらかだったのではないかと思われる。どちらだったのかは、ちと判らない。

『名金』は人気作品だったらしく、日本でのノヴェライズもたくさん出た。それらがあまりにもいい加減なので自分が正しい訳を出そうと思ったというのが田口の言葉(正編まえがき)である。先行作品がどの程度映画と違っていたのかは、映画も見て作品も読んで、ついでにHoughのノヴェライズも読まなくては判別しかねるけれども、残念ながらそこまで僕も暇ではないので、このあたりの追求は随分先になりそうだ。そもそも、映画が現存していないらしい。これもまた失われたSerialである。

前回のブログで『ポーリンの危難』を連続活劇の始まりみたいに書いたが、どうやらそうではなく、1912年『 What Happened to Mary?』あたりらしい。『ポーリン〜』は代表的な作品ということのようだ。すんません。ところで『What Happened〜』はエジソン映画会社の作品で、ここは世界初のフランケンシュタイン映画でその筋では有名である。どうでもいいけれども。

小説『鐵の爪』『笑の面』と映画『The Iron Claw』

以下、だらだら書いています。

国会図書館のデジタルライブラリで探し物をしていたら『怪奇小説 鐵の爪』という小説に行き当たった。見ると続編『笑の面』というのもあるらしい。

奥付には『鐵の爪』は大正六年一月、『笑の面』は同年六月の発行となっている。1917年である。前者の前書きと後者の後書きに、これが東京毎夕新聞に連載されたものだとある。しかも連載時には省略した部分も復活させて作った完全版だそうな。

省略、というのは、これらには原作があるらしく、前者のはじめに「米国 アーサー・ストリンジャー氏原作 田口櫻村・村岡青磁翻訳」と書いてある。なお前書きを読むと、どうやら『鐵の爪』という映画があり、それの原作を書いたのがストリンジャー氏。つまり田口氏らは、映画原作の翻訳を出版したということになる。

一読して大正時代の翻訳小説らしいな、と思ったのは、登場人物の名前がすべて日本人ふうに変えてあることだった。例えば「笠場偵」という名前の後に(原名カサバンティ)と書いてある。あるいは「飛田万里(原名ダビッド、マンリー)という具合である。地名などはすべてそのままで(ニューヨークは紐育でちゃんと「ニューヨーク」とルビがふってある)、ただ名前だけがすべて何とか日本人の名前にこじつけてあるのが、いかにも興味深い。

映画、というのは1916年公開の「The Iron Claw」という連続活劇(Serial)である。つまり、この二冊が発行される、前年である。翻訳はまず新聞連載だったのだから、実際には公開の年に翻訳もスタートしていたことになる。

余計な話だが、The Iron Clawの主演女優はPearl Whiteという人で、彼女は『ポーリンの危難』という連続活劇で主演をつとめたことで、名高い。『ポーリン〜』は、連続活劇の走りと言うべき映画で、毎回(連続活劇という名前のとおり、続き物なのである)主人公やヒロインがあわや! という目にあうアクション主体の映画である。雰囲気は『インディ・ジョーンズ』の、特に第1作である。あれは基本的には連続活劇映画のパロディであり、だからこそインディは潜水艦にしがみつきながらもしっかり生き延びる。宮崎駿はあれを見て「あそこで『金返せ』と怒らなけりゃいけない」と言っていたが、あれは要するに「連続活劇の御都合主義」を皮肉りつつ懐かしんでいるのだから、いいのである。ただ「ばっかでー」と笑っておればよろしいのです。

で、パール女史は連続活劇の女王だけあって、初期の活劇ではすべてスタント無しで本人がアクションしていたらしい。そのために後年背中など酷く痛むようになり、それを紛らわそうと酒(と麻薬)を大量に服用したあげく、49歳でパリに客死してしまった。いま、彼女の作品は、出世作の『ポーリン〜』を含め、ほとんど残っていないというから、二重に痛ましい。ちなみに今『The Perils of Pauline』(ポーリンの危難)という映画が容易に手に入るが、これはベティ・ハットン主演のパール・ホワイト伝記映画である。こうした記載はウィキペディアで手軽に知る事ができる。内容についてはいろいろ問題がとりざたされるけれども、パール女史に関する項目は(細かい所は別として大筋では)間違いがないようだ。

.....と思ったのだが、いまAmazon.comを見ていたらThe Perils of Paulineがリリースされていたのでびっくりした。もっとも60分くらいしかないので、全9エピソードが全部収録されているとは、ちょっと思えない。買おうかどうしようか悩んでます。6ドルだから送料の方が高くなっちゃうのでねえ。

それはそれとしてThe Iron Clawも確かエピソード7くらいしか残っていない(これはほぼ間違いない)ので、実際にどんな映画だったのかは、まず判らない。ただIMDBで調べると、登場人物の名前が『鐵の爪』『笑の面』と共通である(英語と日本名の違いはあるけれども)ことが判る。間違いなく、二冊は映画と同じストーリーなのである。

逆に言うと、映画がそう簡単に出て来ない現段階では、この二冊だけが、映画のストーリーに触れる手がかりである。なかなか貴重ではないか。

ところで、原作者のストリンジャー氏はアメリカの作家であり詩人だった人物で、wikiにも(英語版の方)ちゃんと載っているから、そこそこ知名度は高いようだ。Arthur Stringerは多くの映画に原作や原案を提供している。wikiによれば22本である。

で、その映画リストに「The Iron Claw」があるのだが、年代を見ると1941年でストーリー提供となっている。どうもこれは違うようだ。実際、こちらのThe Iron ClawをIMDBで調べても、役名もシノプシスもまるで違っているのである。これは別ものである。

では1916年かそれ以前に、原作と思わせる作品はあるだろうか? これが無いのである。実際に作品を読んでみないと判らないけれども、どうもそれらしいものは無い。

もっともIMDBによればストリンジャー氏は「スクリーンライター」とあるので、原案を出す役割が多かったのかも知れない。

とはいえ、あまり信じてもいけない。IMDBには、『ポーリンの危難』も彼がスクリーンライターで関与した様に書いてあるのだけれども、いざ作品のコーナーをみるとどこにもストリンジャーの名は見つからないのである。

それはそれとして、では1916年版The Iron Clawは原案提供でいいのかな、と思って確認しようとすると.....ないのである。何の資料を見ても、彼の名前は出て来ないのである。1941版にはしっかり書いてあるのだが。

さてお立ち会い。
すると、である。田口櫻村、村岡青磁の二人は、いったい何から翻訳をしたのだろうか? 映画にはクレジットがされていないのである。原作者とか原案者は書かれていない。

脚本は、監督の1人George B. Seitzの名前があるだけである。彼は連続活劇をたくさん手がけた監督で、『ポーリン〜』もそのうちの一本だ。その一方で、ジュディ・ガーランド&ミッキー・ルーニイのミュージカルなども手がけていて、職人という感じである。ちなみにもう一人の監督はEdward José。こちらはよく知らない作品が多いので、そのうちきちんと調べたい。

原作も原作者も原案者もまったく判らない状態で、田口氏と村岡氏は、どうやってストリンジャー氏に辿り着いたのだろうか。そして、こうして翻訳小説が出版されているということは当然原作小説があったのだと思うけれども、それは何と言う作品なのだろうか。もしかしたら、映画を何度も見てストーリーを起こし、それを基に小説化したのだろうか。しかしそれにしては、細かい登場人物までほぼ全員を日本名にきちんと変えてある(一部、カタカナの人物あり)のが腑に落ちない。やはり、何らかの原作があって、それを翻訳か翻案したのだと考えるのが妥当だろう。

というわけで、現時点ではさっぱり判らないこの2冊だが、内容はテンポが良くて、割合飽きずに読む事ができる。基本的には主人公たちとギャング団との戦いなのだが、銃撃戦あり乱闘あり、そうかと思えばSF的な秘密兵器あり(摩天楼の上からニューヨーク中の建物を攻撃し炎上させる新兵器や、それを作ったマッドサイエンティスト!)で手を替え品を替え飽きさせない。主人公は丸子(マージョリー・ゴールドン!)という女性だが、彼女の父親・合田は善人だがかなりの守銭奴で嫉妬しやすく怒りっぽい。妻(丸子の母)の浮気を疑って言い訳もさせず離縁してしまったりする。そもそも悪役である春鳥博士が悪役になってしまったのも半分くらいは合田のせいなのだ。妻を横取りしたと思い込んだ合田は、春鳥の片手を砕き潰し、顔を焼きごてで焼いて二目と見られるような醜いものに変えてしまった。最近の映画であれば完全に合田が悪役である。こうした登場人物設定も、いささか辟易させられるところもあるにせよ、興味深い。

それはそれとして、やはりオリジナルが何なのか、気になる。ストリンガー氏は現在ではあまり人気が無いとみえて、Complete Worksも出版されていないようだ。しかたがない、暇をみて地道にみつけていこうと思うのである。

追記:田口櫻村は、どうやら映画人だったようだ。大正20年に松竹蒲田撮影所所長に就任している。また、黒柳徹子が姪であるらしい。
映画論叢33号』に「翻訳映画人探見録 田口桜村」という記事があるらしい。入手するかどうか考え中。

やばい

昨日書きなぐった記事、さすがに剥き出しの悪意なので少し寝かせて手を入れてから公開しようと思っていたら、下書き保存のつもりが「公開」になっていた。

どうしようと迷ったが、とりあえず一度下書きに戻し、あとで書き直す。

あーびっくりした。

迷走ブックガイド いろいろ編

 前回に続き、フリーペーパーのための記事の下書き。今回はテーマを設定せず、思いつきで書いてみた。文章や内容は、これから直して行きます。

 栗原成郎『ロシア異界幻想』は、現代ロシアに残るさまざまなフォークロアを通じて、かの地の死生観を紹介する内容だ。
 「二十世紀末のロシア民衆の神秘的体験を読むかぎり、彼らの死生観あるいは『あの世』観は十九世紀以前のそれと本質的には変わっていない」(「序」より)とあるように、本書に引用されている民話は、そのほとんどがソヴィエト崩壊後に採集されたものであるにも関わらず、過去から続く太い伝統の根を感じさせる。

 「おじいさんの旅支度」というフォークロアは、語り手の祖父が死んだ時の物語だが、ここでは祖父を迎えに来るのは共に働いていた(今は亡き)彼の友人たちであり、その準備の一つは作業カードを整えることなのだ。「死者を迎えに来るあの世の者」という大枠は同じだが、演じているのは天使ではなく死んだ同僚たちである。こうしたモダンな装いの中に息づく、ロシアの古層を、筆者はていねいに解き明かしていく。

 「亡夫フョードル」は、夫を亡くした女のところに、毎日夫がやってくるようになった話だ。亡夫は妻とともに薪を集め、庭で働いた。それを知った舅は、家の全ての戸口を固め、亡夫が入って来られないようにしたが、それでも四十日間夫は通って来た。最後には妻を冥界に連れ去ろうと腕を伸ばし、彼女の胸から十字架を引き千切った。舅が急いで引き離さなければ、妻は殺されていただろうと語り手は言う。

 これを読んだ時、私はかぐや姫というフォークバンドの曲「あの人の手紙」を連想した。あの歌は、兵隊にとられた夫の無事を祈る妻のもとに、ある時夫が戻ってきて一夜を過ごすが、実は彼はすでに戦死しており、妻もそれを知りつつ夫愛しさのあまり彼が生きている振りをしたという内容だから、実はずいぶん違う。しかし「フョードル」に登場する妻も、彼が死んでいると知りつつ、一緒に薪を拾い、舅に仲を裂かれるまでは共に働いていた。その心は、「あの人の手紙」の主人公と同じだと思う。
 さらに言えば『怪談牡丹灯籠』で幽霊を受け入れて死んで行く若者も、彼女たちの仲間だろう。いずれも生死の境界を越えて、愛情に殉じようとしたといは言えないだろうか。ロマンチックに過ぎるかな?

 「あの人の手紙」には反戦の香りもあるが、これはやはり愛の物語なのだと思う。とは言っても、戦争が二人を引き裂いたのだから、消極的とは言え反戦歌に含めても良いかも知れない。

 もともとモダン・フォークは反戦も含むプロテスト・ソングからスタートしており、フォーク=民衆という名前のとおり、その時その時の庶民の喜怒哀楽だけでなく、戦争や政府に対するプロテストを歌ったものも、少なくない。特に英米においてはウッディ・ガスリー、ピート・シーガージョーン・バエズなどが積極的に反戦を歌った。時代はちょうどベトナム戦争最中、アメリカ人の若者が数多くベトナムのジャングルで命を落としていた。

 イギリスでは労働運動でもフォーク・ソングがしばしば登場した。伝統的な民謡を、アクチュアルな政治トピックの替え歌にして、集会で歌ったりもしたらしい。
 日本では、岡林信康などフォーク初期からプロテストソングを歌っていたアーティストは少なくない。いや、吉田拓郎以前はたいていプロテスト系だったような気がする。

 拓郎と井上陽水が、日本のフォークの風景をがらりと変えてしまった——と門外漢の私はそんな印象を持っている。とはいえ二人とも初期にはまだ、プロテスト的な根っこは引きずっていた。吉田拓郎「落陽」「祭りのあと」などは、直接的ではないけれどもプロテストの姿勢を含んでいる(どちらも歌詞は岡本おさみだが、それはとりあえず横に置く)。また、井上陽水「傘がない」は、政治や社会よりも身近なことを選ぶという心象が、逆説的に政治への意識を浮き彫りにする。この歌が発表されたのは1972年、あの「あさま山荘事件」と同じ年であり、そこに到る学生運動の発展と挫折、そして壊滅が、若者の精神に大きな影響を及ぼした。彼らは後に「しらけ世代」と呼ばれるようになる。

 あさま山荘事件は、私が小学校六年生の時だった。当時は背景など判らず、ただただスペクタクルとして事件の報道に見入っていた。工事用の巨大な鉄球が壁を壊す瞬間や、降伏して出て来た犯人たちを映す画面でアナウンサーが「これだけの重大事件なので、あえて」と断りつつ、当時未成年者だった一人の氏名を公表していたのを覚えている。

 あの事件については、現場で警察の指揮をとっていた一人、佐々淳行による『連合赤軍あさま山荘」事件』と、同じく現場にいた日本テレビアナウンサー久能靖の『浅間山荘事件の真実』、それに実行犯・坂口弘 が書いた『あさま山荘1972』(上・下)などが刊行されている。また佐々の本を原作とした原田真人監督の『突入せよ! あさま山荘事件』や、それを見て反発した若松孝二監督の『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』などの映像作品もある。

 あれは凄惨な組織内リンチでありテロの末路だったのだが、これによって日本の学生運動は完全に一般人から遊離し、的とされてしまって今に至っている。これは、私たちの中に社会運動、政治活動全般への不信感を植え付けたことも、また否めないだろう。それがその後現在までの日本の政治社会風景を歪めているのではないかと、最近思うようになった。

 英国の政治学者コリン・ヘイが著した『政治はなぜ嫌われるのか』を読むと、政治不信が日本だけでなく、ほとんど全ての、いわゆる先進国に見られる現象であることが、判る。筆者は政治不信の根源を、政治を語る言説の中に探る。つまりは、いかに語るかが重要なのだということだ。それは言葉を替えれば、政治を語ること自体がメディアとなっているということかも知れない。

迷走ブックガイド ゴジラ編

(「シン・ゴジラ」ネタバレは一切無しです。安心してください、って古いか)

 そろそろ始めようと思っている極私的お手軽メディア用の原稿。ここからさらに手を入れるのだが、第一稿ということで、ちょっと上げてみます。こんな文章を続けていこうかなと。ちなみに「怖い本編」「吸血鬼編」までは下書き終了。おお、いい調子じゃ。なお対象は一応一般市民ですので、まあ読みやすい本や入門的な本を挙げるようにしています。

----------------------------------ここから

 十二年ぶりのゴジラ映画『シン・ゴジラ』がヒットしている。それに便乗して、ゴジラ周辺の本を、少し紹介してみたい。

 ゴジラの原作者は香山滋とされている。香山滋ゴジラ』は何度も出版されているが、現在はすべて品切れ絶版。もっともネットで探せば古本で簡単に手に入る。
 香山は戦後、怪奇・奇想小説作家として登場、人気を博した。今、彼の作品を読むと、発想も文体も古めかしく、万人受けするものではない。それだけにマニアックなファンは未だに多く、特に秘境小説は小栗虫太郎(『人外魔境』)か香山滋かという存在だと言っていいだろう。
 で、『ゴジラ』の話だが、原作と言っても映画プロデューサー田中友幸東宝)から打診されて検討用シナリオを書いたのが香山ということであり、映画の先に小説を発表していたわけではない。ゴジラという名前も、水爆実験で巨大化した怪獣が東京に現れて大暴れするという物語の骨格も、すでに田中や、特撮技術者の円谷英二などのスタッフによって固められていた。だから香山の功績は検討用第一シナリオでストーリーの概略を作ったということだ。もちろん、それはそれで大変なことなのだが、一般に言われる「原作」とは少し違う。


 ところで、ゴジラの発想は当時流行った『キング・コング』や『原子怪獣現わる』などのアメリカ映画から得ている(『キング・コング』は戦前の映画だがリバイバル上映されていた)のは、有名な話だ。その『原子怪獣〜』はSF作家レイ・ブラッドベリの「霧笛」という短篇を元にしていると言われている。けれどもよく調べるとどうやら最初は誰も「霧笛」など知らずに作りはじめたらしい。途中で「おい似た話があるぞ」と判って、慌てて原作料を払ったというのだ。真偽は判らないが『原子怪獣〜』と「霧笛」の共通点は「怪獣が灯台に迫る」というところだけなので、充分にあり得ることだと思う。
 いずれにせよ、遠いとはいえゴジラにつながっている作品ということで、レイ・ブラッドベリ「霧笛」(『太陽の金の林檎』所収)もぜひ読んでほしい。


 ゴジラ映画の概論というのは、あるようで、無い。これ一冊あればとりあえずほぼOKなガイドブックがあるといいのだが、残念ながら偏っていたりマニアックだったりして、ちょうどいいものがない。少し古いけれども冠木新市編『ゴジラ・デイズ』が、ゴジラ映画の歴史や作品解説、歴代特技監督インタビューなどが収められていて、良書。ただし集英社文庫版(絶版)は1998年に出ているので、対象となるゴジラ映画もローランド・エメリッヒ版『GODZILLA』まで。ミレニアム・ゴジラシリーズ以降は出て来ない。ぜひ誰か続編を!
 ゴジラ映画は第一作の評価が特に高く「反核反戦争メッセージ」性が評価されているが、『ゴジラ・デイズ』や井上英之『検証ゴジラ誕生』などを読むと、元々は田中友幸円谷英二が別個に考えていた怪獣ものを合体させただけで、しかも最初の時点では核がどうこうという発想は無かったことが判る。「反核」は後付けなのである。
 もちろん、第五福竜丸のビキニ核実験による被曝も大きなモチーフではあったので、「反核」テーマを無視していいとは言わないが、あまり寄りかかり過ぎてもいけない。だいたい、第二作以降は核なぞほとんど出で来やしないじゃないか。あくまで第一作では重視されているけれどもそれは話を進めるための仕掛けとして出ているのであり、どこまで真面目に取り組んだ末での「反核」かは疑問だと、私は思っている。ファンには殴られそうですが。


 ゴジラ映画の監督といえば本多猪四郎が代表的だろう。第一作『ゴジラ』から第十五作『メカゴジラの逆襲』まで、八作を監督している。その本多氏インタビュー集が『「ゴジラ」とわが映画人生』だ。この本と、夫人の本多きみ氏の回想録『ゴジラのトランク』は、ゴジラ映画はもちろん、日本映画の最盛期からその後にかけてのエピソードも多く含まれており、広く映画ファンにお勧めだ。また初代ゴジラぬいぐるみ役者である中島春雄『怪獣人生 元祖ゴジラ俳優・中島春雄』もおもしろい。怪獣映画の知識が多少ともあれば、引込まれると思う。
 怪獣映画監督としての本多猪四郎の作品を評論した切通理作本多猪四郎 無冠の巨匠』は、本多家の未公開資料も参照して書かれた力作。いささかオタクっぽいところが気になるが、労作と言っていい。
 ゴジラ映画の音楽といえば、伊福部昭ゴジラだけでなくさまざまな映画に音楽をつけているが、一般にはやはりゴジラの音楽を創ったからこその名声だろう。ちなみにクラシックの作曲家として高い評価を受けている人でもあるが、それも一般にはゴジラ人気からだろう。小林淳編『伊福部昭語る』は、伊福部が手がけた映画音楽の多くについて、本人の言葉を集めて構成した本。生涯で約二百六十本もの映画に音楽をつけた人だけにすべてを紹介はできていないけれども、主要作品は網羅されていて、これはこれで戦後日本映画史にもなっている。
 伊福部はゴジラに、アンチテクノロジーの痛快さを感じていたらしい。なるほどな、と思わせられる。ゴジラ映画とは、そちらが本来の姿なのではないか。
 なにより円谷英二がいなければゴジラ映画は成立しなかった。竹内博編『定本円谷英二随筆評論集成』は、円谷の書いた文章や、インタビューなどを集大成した本。また竹内博・山本真吾編『円谷英二の映像世界』は作品論や資料を集めたもので、貴重な一冊。どちらも良書だが、マニア向けなので一般にお勧めはしません。


 ゴジラ映画がアメリカでどのように受け入れられて来たかについてはウィリアム・M・ツツイ『ゴジラとアメリカの半世紀』が良書。文章にユーモアもあり、楽しく読み進められる。
 小野俊太郎ゴジラの精神史』は初代ゴジラ映画の内容を基点として、戦争や核、災害、科学と人間、アメリカとの関係など多岐にわたって考察した本。この人の他の「〜の精神史」は正直言ってちかみどころのない印象があるが、本書はよく纏まっていて、少しハイブロウにゴジラを語りたいあなたにぴったりの一冊だ。
 ゴジラと、日本における原子力開発のイメージについては吉見俊哉『夢の原子力』に詳しい。前記小野本とともにどうぞ。


 最後にSTUDIO28編・著『モンスターメイカーズ』は、ハリウッド映画の特殊撮影技術変遷史。視野の狭い特撮オタクが褒める日本の特撮技術が、いかにあほらしいものかを思い知らされる。円谷は初代ゴジラではハリウッドの技術をめざしていたのだ。しかし予算と制作時間がそれを許さなかった。初代『ゴジラ』とは、戦争でも、映画テクノロジーでもアメリカに負けた日本のうさばらし映画だったのかも知れない。

飽きないように続けたい

余計なことを考えず、メディアを作ってみることにした。A4ペラ1枚、ワードで組んでプリントしてコピーしただけのものだが、カッコつけてもしかたがないもんね。
当面はブックガイドと街歩きガイドみたいな感じに。
何ができるやら。